審査員講評


佐藤尚巳(審査委員長)
 
 今年は用途も規模も異なる6作品を現地審査対象作品として選出し訪問したが、実物を見ずには建築の本質はわからないことを実感させられ再認識した。約240の応募作品がありそこから100作品を選出しJIA優秀建築選としたが、A3版4枚の提出物を頼りに審査することの難しさを痛感した。一方で240の作品から読み取れたのは、建築家の分析力、提案力、実現力のすばらしさであった。クライアントの要望を受けて、物言わぬ環境と社会の声を聴き、誰もが心地よいと思える空間や環境を創造できる頼もしい能力を建築家がもっていることを改めて認識させていただいた。
 日本建築大賞に選出された長野県立美術館は、「つなぐ」をテーマにランドスケープミュージアムとして提案された。善光寺東側の城山公園の一角に大地の高低差を巧みに利用して美術館が埋め込まれ、隣接する東山魁夷美術館とも一体的に公園全体の環境を整備した計画である。3つのレベルを巧みに交差させて人々の移動、回遊を促し、所どころに人の溜まりや、視線の抜けや受けがあり、水盤や緑が見え隠れし、散策する楽しさが広がっている。外観はガラスとアルミパネルで構成され、美しく整然としたプロポーションとディテールで納められ、東山魁夷美術館と見事に調和している。内部の空間も細部も宮崎氏が長年の設計経験と技術開発で積み重ねた、極め尽くされた作法と手法と素材で納められている。決して主張することなく、当たり前に、ごく自然に心地よい空間が展開され、建築としての完成度が高く、市民から愛され、施設管理者の評判も良く、善光寺周辺の魅力を高めた功績は大賞に相応しいと判断した。
 優秀建築賞に選出された新富士のホスピスは、末期癌患者が終末を過ごす病棟として計画されたが、設計者が提案したのは自宅の庭を眺めながら安らかに最後の時を過ごせるような患者の気持ちに寄り添った設えであった。緑陰の中に病室を散在させ、雁行する廊下と光庭で繋いでいる。良い意味で力の抜けたプランニングである。図面や写真で見た通りの温かみがあり、スケール感が良く、自然と調和のとれた空間が展開されていた。病院関係者の話を聴き驚いたのは、生きる気力や自己治癒能力を誘発する不思議な力をこの施設が持っていることであった。入居者が元気になり家族も働く人も皆明るい気持ちになれる、これだけポジティブな影響力を人の心に与える建築に出会ったことが無く感銘を受けた。「見たことがないものを求めることはできない」というクライアントの言葉が印象的であった。
 もう一つの優秀建築賞に選出された熊本城特別見学通路は、熊本城の長期修復工事に対して、修復計画の中で一般市民が見学できる通路を付加的に提案し実現したことで、文化遺産の保存修復の在り方に一石を投じた点が秀逸であった。石垣や地中埋設物等の文化財に触れることなく、修復工事にも影響のでない領域を綿密な調査により探り出し、基礎を置き、トラス梁で繋ぎながら空中に歩廊を出現させた。短期間に思いもよらぬ見学通路を市民に提供したことは建築家の提案力と実現力の高さを証明する好事例として高く評価された。
 現地審査を行った他の3作品は、どれも提案力は素晴らしく魅力的ではあったが、最終審査には一歩及ばなかった。
 三組坂flatは、3.2mの構造グリッドを空間構成単位として10層の集合住宅を組み上げた計画だが、斜め方向に移動可能な曲面壁の連結装置を使うことと、床下空間で設備配管を水平展開することで各階の平面計画も住戸ユニットも全て異なる秘密基地的なワクワクする住空間が繰り広げられていた。都市の限られた空間を住み分ける魅力と知恵があふれる作品であった。
 山王のオフィスは、住宅街の中にある住宅兼事務所で、集成材の梁を弱軸断面で使い、鉄ではなく木の柱で引っ張ることで下に凸の曲面屋根を実現させた挑戦的な構造形式が特徴的であった。木材一本一本のヤング率を自ら測定し、それを組合せて最適な集成材の梁を製造するために施工管理にも自ら関わって実現した意欲的な作品であった。
 MIYASHITA PARKは、浮浪者の溜まり場となっていた宮下公園を、立体公園制度を利用と民間資本の活用で積層し都市化した計画である。下層部に商業施設を配置し既存街並の賑わいを連続させたことで環境整備には貢献している。一方で公園(スポーツ施設)は屋上に追いやられ、地上からの視認性も連続性も悪く、全体的に緑量も乏しく残念ながらPARKと呼ぶには程遠かった。屋上にスポーツ施設が付随する商業施設という印象が強く、商業空間に緑を編み込むようなより丁寧な複合化が望まれた。評価の分かれた作品であった。
   
松岡拓公雄
 
 私の場合はカテゴライズして集合住宅系、商業施設系、公共施設系の中をミュージアム系、病院系、交通系、教育施設系などに分けて一番印象に残った応募作品を6作品に絞り込んだ。選んだ3作品が最終選考に残った。
 長野県立美術館は審査視察で深く感銘を受けた。この美術館は遠景では全体像が掴みにくい、周回しても顔になる部分を切り取ることができなかった。それはこの建築が全方向に触手を伸ばして斜面に食らいついた構成であるからだ。コンペ時に地域、人、アート、地形、東山魁夷美術館、善光寺、時間と「つながる」というコンセプトがそのまま形になっている。そのバラバラの触手をまた建築で「つなげる」手腕が巧みで、シークエンスの連続でそれが分かる。空間の中心や強い軸線などもなく視覚、動線、ブリッジ、階段はそこにそうあるべく必然の計画がされている。手法といえるのかどうか、そこに今までにない新鮮さも感じた。屋上の広場は船のデッキのように見晴らしがよく善光寺と対峙し、空と宇宙にもつながっているような気持ちの良い広い空間が印象的である。建築とランドスケープが一体となるのは何も地面に建築が溶け込むだけではないことを示しておりここは高く評価したい。翻って繊細さと大胆さが同居する構造、内外装の素材は存在感があり汚れへの配慮と見え方に対する気配り、冷暖房設備の理路整然とした考え方なども見逃せない。密度の高い空間や行政への提案も示し獲得した空間のパワーがみなぎり宮崎氏を中心としたチームの力量が溢れていた。総合的に最優秀賞作品の一つの方向性も示している。また前設計者林昌二氏へのオマージュも印象に残った。
 熊本城特別見学通路は現地審査で建築である意味がよく理解できた。元々修復計画の中で見学通路の提案が認められたというその先見性が評価できる。既存の樹木との共存、また埋蔵物に対する配慮、修復活動を妨げないため、置き型構構造やロングスパンアーチやリングガーダー構造を駆使した導線計画は、見学者の立場から言えば熊本城をステージにした修復工事を観劇する長期間公演を楽しめるデッキ型観客席とも言える。この作品はこれからの補修、保全のあり方を示唆している。同時に組織事務所の強さも感じられた。
 新富士のホスピスは終の住処としてこれからのホスピスを一変させる力を持っていた。末期癌患者とその家族のためのホスピスとしてこうありたいという願いが心に響いた。この力はクライアントの患者に対する深い愛情と建築家山崎氏の見事なコラボレーションでコモン型ホスピスとして結晶している。副委員長の感動的な説明に全てが語られていた。特に堂々とした隠すことをしない生と死の出会いの共通空間は建築の力に満ちている。
 最終まで残った他の三作品も訪れると想像していた以上の感銘を受けた。「山王のオフィス」は若い力が弾け、その構造のチャレンジと施工方法、事務所仕様にも目をみはるものがあった。「三組坂Flat」は耐震化壁をつけた550角柱の純ラーメン構造を操り住居ユニットに驚くほどのバリエーションを与え集合住宅の概念を変える斬新な作品である。「MIYASHITA PARK」は渋谷の再生を目指し都市施設として場所、土地の特性を複雑な条件を満足させてまとめ上げている。審査後も訪れ屋上まで多くの若者が自分の場所を見つけ利用しているのは成功である。組織事務所の力量に溢れている。
 建築家の果たすべき役割は幅広くある、クラアントの要望を満たすのは当然だが社会に向けて使命感と強いメッセージを発信してほしい。そのメッセージが一石を投じ、街や周辺にその波紋がひろがりで良い環境を形成していくコアを創造してほしい。
   
原田真宏
 
 審査講評を書きはじめた今、テレビでは東北大震災の追悼式展のニュースが流れている。11年前のこの日、2011年3月11日は日本の建築界の一大転機だったと指摘されるが、それは有事にあって建築が社会からほとんど頼りにされなかったという、あからさまな事実に端を発している。建築とは豊かで幸福な社会を具体的に実現する職能であり技術であると考え、教えられてきた訳だが、社会からはそのようには捉えられていなかったことは大きなショックだったはずだ。この日以降、建築家は扱いやすくモディファイされた社会ではなく、生(ナマ)の社会と、ぎこちなくも向き合いはじめたのかもしれない。
 こんな話から始めたのは、その11年に渡る社会との再接続の試みの成果を見せつけられるような審査だったと感じたからだ。ファイナルに残った3作品をはじめ、多くの作品が何らかの確かな生の社会との接続を持ち、そして具体的に貢献していたことが印象に残っている。
 まず、まさに震災と復興を扱った「熊本城見学通路」。熊本大地震直後の混乱を極めていた時期に、行政によって熊本城の復興までのプロセスを提案対象としたプロポーザルが実施されたわけだが、災害時に社会から頼りにされ、これに建築家がビジョンを示し、皆に喜ばれる実環境として応えた事実は3.11以降の建築界にとっての明快な成果である。
 「新富士のホスピス」は末期癌患者の人生最後の居場所の設計である。通常の効率的な医療施設としてではなく、患者やその家族の視点に立ったホスピスは前例がなく、新たに見出す必要があった。これは人生の閉じ方の設計と言ってもいい難題だ。医療関係者であるクライアントとの濃密なやり取りから「居方」を鍵とした形式が導き出され建築化されたわけだが、特筆すべきはそこに至る建築家の態度にある。確かな指針もない中、死という極めてシリアスな主題を扱うという事態にあって、彼は全てを受け止めるという方法を取った。不都合は取り繕わず、認め、共有し共に歩く。その姿はかつての超越的存在であろうとする建築家像とは明らかに一線を画するもので、ある種素朴とも映るデザインとは対照的に、ラディカルでさえあった。そこには社会的な建築家像の更新という価値があり、3.11以降の建築家像の一つの理想的な典型とも見えた。
 最後に大賞となった「長野県立美術館」について。ジャパニーズモダンスタイルの正統後継者たる建築家による長年の活動の成果のような仕事だ。歳月をかけて洗練されてきたデザイン言語は、確かに高い水準の建築物へと結実するのだろうが、これを未来に向けてどう評価すべきかと、実は書類審査時に少し悩んでもいた。現地でそれはいい意味で予想通りであり、また裏切られることになった。まず、そこには期待通りの建築の王道の美があった。プロダクトレベルの細部から、建築、外構スケールへと間断なく繋がる調和の連環があり、これは建築家が完全に掌中にプロジェクトを捉え集中して仕事をした結果得られた成果だ。それは決して内に閉じない、自律しつつも開かれたユニティである。しかし、予期せず打たれたのは、この建築ができたことで都市そのものが刷新されたかのように感じられたことである。側面から善光寺を捉え、その背後に低山が取り巻くという、この建築がもたらした印象的な構図は、長野市の新たな認知的な構造となることで都市像を更新してしまった。環境から構造や秩序を見出し明らかにすることで、世界を新たなものとすること。これは建築のもつ本来的な力であり真の実質的社会貢献である。それは昨今の脱構築的傾向への建設的な批評ともなるだろうとも考え、確信を持って大賞として推した。
 建築界が生の社会と向き合ったこの11年の歳月は、具体的な建築は元より、作品性や作家性の概念までをも更新してきた。このことを審査を通して知ることができたことは収穫だった。
   
田原幸夫
 
 JIA建築賞には毎年多数の応募作品が寄せられるが、建築というものはやはり実際に現地を訪れて、その場と空間を体験してこそ本物の価値が解るものであろう。優れた建築に出会った時の“感動”こそ大切にしたいと思っている。JIA建築賞に多数の作品が応募されることは非常に喜ばしいことであるが、一方で応募作品の多さゆえ、先ずは書類審査というシステムをとらざるを得ないことに、審査員としては毎年疑問と限界を感じている。今年度の建築賞に応募された建築家諸氏へ心からの敬意を払いつつ、審査員の一人として個人的想いをあえて述べさせていただいた。
 今年度の現地審査作品は、審査員の投票と議論を踏まえ以下の6作品となった。「熊本城特別見学通路」「新富士のホスピス」「長野県立美術館」「三組坂flat」「MIYASHITA PARK」「山王のオフィス」(応募順)である。規模や用途が異なる、実に多様な作品群が現地審査の対象となった。
 以下、誌面の制約上、受賞3作品についてのみの講評とさせていただくことをお許し願いたい。
 JIA日本建築大賞は「長野県立美術館」(設計者:宮崎浩/プランツアソシエイツ)に決定した。筆者にとって長野市は、高校時代を過ごした懐かしい街である。旧信濃美術館(設計:日建設計・林昌二)が竣工したのが高校2年生の時で、当時見た白く輝く美術館の姿はいまだに強く印象に残っている。またその後、この美術館の北に接して東山魁夷館(設計:谷口吉生)が建てられたが、この二つの美術館と公園の曖昧な関係が長年気にはなっていた。宮崎氏は以前著書の中で、建築を設計するときに“「向こう三軒両隣」という場の意識”を強く持っている、と述べられている。今回の県立美術館は、国宝善光寺に隣接する周辺施設を見事につなぎ、公園地区全体の環境を再生した素晴らしい仕事だと思った。旧信濃美術館と東山魁夷館という、既存の建築とその設計者に対するリスペクトに基づく“場のデザイン”に大いに好感が持てた。
 JIA優秀建築賞は「熊本城特別見学通路」と「新富士のホスピス」の2作品に決定した。
 先ず「熊本城見学通路」(設計者:塚川譲、堀駿/日本設計)は異色の建築である。2016年の熊本地震により甚大な被害を受けた熊本城の復旧工事の過程を、一般の市民が間近に見られるように計画された20年間の「仮設」の空中歩廊なのである。この作品は、国の特別史跡である熊本城内の遺構や復旧工事の支障にならず、多くの既存樹木をも慎重に避けつつ計画された全長350m高低差21mの現代の見学通路で、熊本城を主役とした意匠・構造計画は見事であった。またこのプロジェクトは、設計事務所がプロポーザル段階の企画・構想から設計・施工段階まで一貫してリードしてきた仕事であり、日本における今後の建築家の職能の可能性についても大きな期待を抱かせるものとなっている。
 優秀建築賞の2作品目は「新富士のホスピス」(設計者:山﨑健太郎/山﨑健太郎デザインワークショップ)に決定した。書類審査の段階では、作品としては規模も小さく地味な印象であったが、現地審査において、審査員一同非常に大きな感銘を受けた。この作品は何といっても、クライアントである病院と設計を担当した建築家の、末期癌患者への熱い想いに基づく共同作業から生まれた「宝物」のような建築だったからである。優れた建築とは、関係者の“こころ”が込められた建築であるということを実感した現地審査であった。また西に隣接して検査棟が設計・新築されているが、ホスピスを経営的に支える施設としての明解な割り切りも見事であった。
 今年度の受賞作品はいずれも、これからの日本の社会への「建築家」の貢献のあり方について、大きな示唆を与えてくれたように思う。
   
宮沢洋
 
 「建築」や「建築家」の可能性を広げるものを選びたい。審査員の話をいただいたときにそう思った。過去の受賞作を調べてみて、この賞の固有性はそういうところなのではないかと感じたからだ。
 確かに“宝石のように美しい建築”や“時代を象徴する建築”をつくることも建築家の役割だ。だが、そうした建築を評価する賞は他にもある。日本建築家協会が選ぶならば、専門家だけでなく一般の人に対して「建築にはこんな可能性もある」と発信できるものでなければならないのではないか。
 100選および現地審査対象を選ぶ書類選考でも、そんな視点で選んだ。正直に言うと、応募書類のすみずみまで読まないと「何に挑んだのか」が読み取れないものが多く、メッセージ性に対する応募者の関心の欠如を感じた。いくつもの賞に使い回せる標準的な資料なのだと思うが、今後、選考をスムーズにし“取りこぼし”を防ぐようにするには、資料の冒頭に「今回のプロジェクトで重視したこと・挑んだこと」を共通フォーマットとして書いてもらうようにするのも一手かもしれない。
 現地審査の対象となった6つの建築は、いずれも「建築や建築家の可能性を広げるもの」であった。特に、最終の公開プレゼンテーションに残った3件は、「審査員を引き受けてよかった」と思わせる挑戦的な建築だった。
 応募番号順にコメントすると、「熊本城特別見学通路」(塚川譲、堀駿/日本設計)は、「復興過程の観光振興で何ができるか」に挑んだ建築だ。書類選考段階では、「これは建築なのか」という議論があった。建築確認申請を受けているということで現地審査対象に選ばれたが、私は建築確認の対象であろうとなかろうと、建築家が設計した構築物は「建築」であると思う。むしろそういうところに建築の可能性は眠っていると思う。実はこの施設は審査員を引き受ける前に、自分で見に行っており、「今までにない震災復興の形」に感銘を受けた。
 「新富士のホスピス」(山﨑健太郎/山﨑健太郎デザインワークショップ)は、応募書類ではやや読み取りにくかったものの、現地を訪れると、確かに大きな挑戦であることが分かった。ひと言でいうならば、「自分の家にように最後のときを過ごせるホスピス」だ。平屋建てにこだわり、内外が自然に連続する共用部を実現した。入所者にとってはもちろん、見守る家族にとっても心安らぐ空間だ。クライアントの話を聞くと、従来のホスピスとは全く異なるシーンが生まれていることが分かった。
 「長野県立美術館」(宮崎浩/プランツアソシエイツ)は、ぱっと見には“宝石のように美しい美術館”だ。だが、この建築の真価はそこではない。これは「周辺の価値を高める建築」である。この建築ができたことによって、周辺の環境が見違えるように変わった。隣接する既存の東山魁夷館はより魅力的に見える。城山公園も、どこまでが美術館の敷地なのか分からないようにシームレスな形で整備された。建て替え前を知っている私が何より驚いたのは、善光寺から美術館に向かう道が、軸線に合わせてまっすぐに整備されたことだ。
 最終審査は、“今までにない建築タイプ”である熊本城特別見学通路と新富士のホスピス、“建築の王道で周辺に何かできるか”に挑んだ長野県立美術館という対立構図だったといえる。結果は長野になったが、残る2件も大きな挑戦という意味では大賞に負けていないと思う。