審査員講評


淺石優(審査委員長)
 
 場所には固有の力があり、人・街・都市・自然は変化し生き続けている。場所の云うことに耳を傾け、自らの身体感覚をたよりに周りの環境との関係を意識した建築をこれまでつくってきたので当たり前のコトと思っていたのだが、100選にあってはそこまで考え及ばないものが多かった。受賞作品は古澤邸、新潟の集合住宅Ⅲ、コート・ハウス、須賀川市民交流センター。その内三つが住宅作品であり、独立住宅においても周りの環境との関係を意識したデザインがなされた、とても興味深くレベルの高い内容であった。
 古澤邸
 私小説的になりがちな建築家の自邸。ところが、実際はそうではなかった。自己を他者化すること、リノベーション建築のような、当初案を既存建物と見立て転用するという設計プロセス。構造システムは十字梁純ラーメンフレームと独立スラブ。ピン角接点の二つの床版は小さな吹き抜け空間をつくり、その間に十字梁が飛ぶ、この魅力的な住宅を構成する必須エレメントなのだ。開口の向こう側、隣家外壁の色やテクスチュアなど、それらを窓辺の家具の素材やディテールワークなどと関係づけ領域を拡張する。閉じつつ開き、内外空間が緩やかにつながる公共意識を持つ住宅である。手摺や建具などのアマチュア的ディテールワークは、転用のイメージそのものである。既存建物からの転用で10年。30代だった人が40代に。これから50代、60代を過ごし、時を刻む中ゆっくりと変化していくのだろう。
 新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀
 都市化された高密度な状態での住宅における内部と外部の新たな関係性が構築された集合住宅。住宅のスケールを超えた巨大なコンクリート柱をいぶかしく思っていたが、土木スケールの大黒柱がユーモラスでもあり、窓辺と内部を緩やかにゾーニングしていてナカナカ良いのだ。純ラーメンフレームと床スラブと外壁ラインを構成するコンクリート壁がつくる内部空間とテラス空間が一緒になった住居、その外側の景色のフレーミングを介した外部との関係、町並みに呼応した外壁の分節化など、これまでの集合住宅にないものを見せてくれた。いくつか部屋を見た中で熱狂的な住民フォロアーが現れた。建築を愛する気持ちが現代建築を長生きさせるための必須条件だと思う。
 コート・ハウス
 敷地は清家清先生によるマスタープランによって生まれたものであり、敷地境界は低いフェンスで区画され、隣地への拡がりをもつ。一階を大きく二階は小さくすることで、空を大きく見せるといったことが意図されていたようだ。新しい住宅では、「室内のコート」を中央に、高さの異なる下屋をその周りに配し、開発初期に設定された考え方に沿った断面をつくっている。愛着のある持ち込み家具が生むスペースを下屋に挿入することで、居場所を分散させながら「室内コート」に繋げると共に、窓辺の空間と「小さな庭や犬走」との新しい関係が生まれ、境界のフェンスを越えて繋がり、当初の関係が再構築されることになる
 須賀川市民交流センターtette
 図書館を中心とした複合施設。スラブを細かく分け、ずらし、セットバックすることで、町並みにあったスケールを獲得している。一階の緩やかな坂道は、地形に合わせた街のようなにぎわいのある場所になっているが、アプローチ廻りも開かれた形になっていれば更に良かった。建物全体が街のようになっていて、色々な店(機能)が点在しているといった図書館のイメージだとすると、普通の図書館の域を出なかったのが残念であった。プロポーザル参加条件が組織事務所+若手建築家ということで、若手建築家がどれだけ力を発揮したかも評価される。畝森さんには須賀川のあの場所ならではの図書館を提案してほしかった。
 荒川ビル
 狭小敷地コーナーに建つペンシルビル。その外観はボリュームをずらし、外周に避難階段を纏わり付けることによって彫りの深いユニークなものになっている。住宅スケールのオフィス+テラスという構成。避難階段との関係でそれらの繋がりが今ひとつなのが惜しまれる。
 木舎
 災害がきっかけとなり、人力だけで建て方ができ、構造材も一般に流通する規格柱材だけの工法はないかということで「重ね梁」工法が生まれた。決まった寸法の柱材に絞って地域ごとに備蓄し、普段は良質な自然乾燥材として市場に流し、使った分は補充することで安定した木材需要を生むというわけである。「重ね梁」工法による架構の美しい木造建築である。
   
木下庸子
 
 建築界の賞のなかで「日本建築家協会優秀建築選」のみ最終選考が公開審査の場で行われると聞く。その貴重な公開審査が今年度はパンデミックの影響で非公開形式となったことは実に残念であった。特に現地審査対象の6作品は、これまでのように事前に数点に絞り込むことなく、全対象作品が一堂に会して発表、審議される形式が取られたので、オーディエンスなき審査会はとりわけ発表者にとっては張り合いに欠けるものであったに違いない。
 審査は思いがけなく長時間に及んだ。さすがに最終選考まで残った作品は力作ぞろいでかなりの接戦となり、どの案が受賞しても納得がいくほど議論もなされた。終盤の投票は5人の審査員が1票ずつ投じた結果、「古澤邸」が日本建築大賞となり、「新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀/ザ・パーク一番堀」、「コート・ハウス」、「須賀川市民交流センター tette」の3作品が優秀建築賞となった。この結果からみてもいかに僅差であったかが伺えるだろう。
 大賞の「古澤邸」は住宅、しかも自邸という希少な受賞例である。設計期間に10年以上もの歳月が費やされただけあって、練りに練られた案からは敷地における最適解が導かれたという説得力が感じられた。しかも、ある家族のための特殊解というよりはむしろ、住宅のみならず他のビルディングタイプにも変換可能な、都市に開かれた建築のモデル解と言っても過言でないように思われた。梁とスラブがずれていることについては構造的不整合が指摘されたものの、実現された空間はそのズレによって空間どうしの適度な分節と緊張感を達成しており、この建築の縦につながるワンルームの成立に貢献している。
 「新潟の集合住宅/ザ・パーク一番堀」は、長屋や町家が存在する地域性と街並みのコンテクストが設計のヒントになったとのことだったが、この土地の特殊解というよりはむしろ集合住宅の、いわば普遍的な解ととらえられるように思われた。というのも、10階建てのラーメン構造の建築物に薄い外周壁をめぐらすことにより、集合住宅というビルディングタイプが持つ、雨仕舞いや設備や避難の目的で必然的に生じる様々な立面要素を一切表出することなくまとめあげられているからだ。また一次審査の際に内部空間利用で問題かと思われた存在感あるラーメン柱はむしろ、実際の空間ではインテリアの設えの手がかりとさえなっていた。好条件の立地が充分に活かされた計画であったことも付け加えておきたい。
 「コート・ハウス」もまた、郊外型住宅という課題のプロトタイプと考えられる点で普遍的な解といえる。敷地は約50坪の典型的な郊外のニュータウン。40年前の分譲当時の核家族を基本とした平面構成と手入れの負担を強いられる庭が、高齢の住まい手にとっての課題となった今、現代の郊外型住宅のプロトタイプを模索した結果至った解である。内部空間は中央に“コート”と呼ばれる二層の吹き抜けの空間を備え、そこからさまざまな方向に諸室が突き出し、コートの高い直方体のボリュームを、深い下屋に覆われた諸室が取り巻く構成となっている。諸室が必要に応じて、また方位に準じて置き換えられることで、東西南北あらゆる方位入りの郊外住宅地に対応可能である。
 「須賀川市民交流センター tette」は、実績ある組織事務所と40歳以下の若手建築家を「デザインアーキテクト」として協働することを条件としたプロポーザルの仕組みがユニークであった。しかしそれ以上に、一作目が住宅の畝森泰行建築設計事務所の二作目が、石本建築事務所と組むことで実現した約13,000㎡の市民交流センターだということが、このプロポーザルの仕組みの大きな成果といえる。事実、若手デザイナーとタイアップしてこその新鮮なアイディアが建築の随所に見られた。
 各々の作品を改めて振り返って感じることは建築家が自身の、建築作品としての位置づけ、あるいは社会のなかでの立ち位置を冷静に把握しており、今後次なる展開を予測させてくれていることである。「荒川ビル」も都心という立地の、ペンシルビルが当然のごとく効率優先で建設される状況下において、法的要素である避難階段を立面構成要素ととらえることで、今後のペンシルビルへの新しい可能性を示してくれた。「木舎」もまた、木の流通の仕組みまで切り込んでいる点に建築家の職能に対する強い意識が感じられた。一般に流通されている小径材と一般的な金物によって組まれた、自身が模索し採用した「重ね梁」構法に見る意匠と構造の融合はまさに、今後の展開を指し示してくれている。
   
ヨコミゾマコト
 
 再開発からリノベーションまで様々なスケールの190ほどの建築作品。それらの設計のエッセンス満載の応募資料を準備して下さった応募者の方々にまずは感謝申し上げたい。それらを拝見することはとても勉強になった。その建築を通じて設計者が超えようとしたものは何か? それを同業者として理解、共有し得るかという視点で資料を読み込ませて頂くと、強く共感できたり、解法に驚かされたり、自分にはなかった視点を見出せたりする。後から辿ると、そのような興味深さで他を超えていた作品が現地審査対象となったと思える。
 「荒川ビル」は、再開発の進む都心にあって小規模なペンシルビルの今までにない姿を提示している。その特徴的な外観は、整形の執務空間とそれを取り巻く避難階段により形成されている。細かな法規に縛られ奥し難い避難階段を、臆することなくデザイン対象として制御し切ったことは高く評価された一方、階段に新しい公共性を認め得るか、「街への新たな貢献」とは何かという議論が繰り返された。
 「古澤邸」は、設計者の自邸ではあるのだが、一度実施設計まで終えたものを数年かけてリメイク、設計者の言葉でいえば〈転用〉したという。平面の図式的強さは継承されているが、当初案にあった螺旋階段を含む円形シリンダーによる求心性は実現案では全く消え、RCラーメンと梁から分離されたRC床版が織りなす複雑な架構と、それらにより切り刻まれた小空間が繋ぎ合わされたような拡散的な積層建築になっている。架構に纏わりつくように人の居場所が設けられているのだが、それはまるで洞窟内部の窪みとか、大樹の枝や洞などと似て、そこに棲みつくためには野生動物のような空間利用能力の発動を強いる。生活の楽しさにも通じるその創造性は高く評価したい。一方、アプリオリさを担わされた架構や空間は、設計者本人により持ち込まれたいわば虚構であり、梁と床を分離するという構造上の非合理性は十分に脱構築主義的であり、表層性が合理性に優る点でポストモダニズム的である。今、それをどう評価し得るのだろうか、最後まで釈然としないままであったことを記しておきたい。
 「新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀」も、RCラーメンが印象に残る建築である。外皮としての壁と架構としてのラーメンの構造上、空間上の絶妙な乖離、熟考された空間分節には、意匠と構造の高い設計能力を見た。一方、隣接する歴史的建造物や街区が持つコンテクストとの関係の希薄さが評価をあるレベルに留めてしまったように思う。しかし、デベロッパーやビルダーとの密な協働により実現したという驚異的な坪単価と、多様な住空間や丁寧なディテールには学ぶことが多かった。
 「木舎」は、現地審査をもっとも期待していた作品である。徳島といえば、東日本大震災復興に際し板倉造りの構法と材料を提供して下さったことが想い出され、地域が生み出す優れた木造建築のプロトタイプとして期待していた。その過半は充分に満たされたのだが、大断面の横架材が非構造部材である可動間仕切りの鴨居として使われていたり、長手方向の耐震要素が意匠的には付属的扱いの小部屋に頼っていたりする。その構造上の不明瞭さにより評価は伸び切れなかった。しかし、一般流通材のみを用いて高度な技術を必要としない「重ね梁」構法は大変興味深く、木材の生産、流通、加工、工法までの一貫した体制作りや災害に備える木材備蓄の構想など、それらの真摯な取り組みは高く評価したいと思う。
 「コートハウス」は、最後まで推したかった作品である。40年前のニュータウンにおける住宅の更新であるが、細かく読み取られた周辺環境との呼応関係から構築していくアプローチは独特である。家具スケールまで詰められた幾つもの小スペースと、「コート」と名付けられた空洞のような中心との平面上の重ね合わせや、熟考された断面上の分節と連続により、多様で飽きることのない空間体験に満ちている。小住宅ではあるが、その構成にはスケールレスな普遍性を感じた。
 「須賀川市民交流センター tette」は、建築空間や構造計画の面白さに加えて、数多くのワークショップや全国の関連施設の視察などを実施できた市民や職員との信頼関係、図書館コンサルタントや市民協働コンサルタントなども含めたチームワーク、大手組織事務所と若手アトリエ系事務所との共同体制など、それらの総合性を高く評価したい。通常なかなか導入し難い図書館書架の分散配置も、図書館職員や市民利用者の理解の元、実現に導いている。今後の公共複合文化施設の模範となり得る建築ではなかろうか。
   
後藤治
 
 最終審査に残った6作品は、いずれも力作で甲乙つけがたかった。審査員による選考過程で、最初に各人3票を入れることになったが、私は木舎、荒川ビル、古澤邸の3つを支持した。そのうち、木舎と荒川ビルは、残念ながら各賞を受賞することはできなかったが、まずその2作品の私が評価した点を述べたい。
 「木舎」は、中規模の木造の公共施設で、120×150の杉の角材を渡りあご仕口を使って格子状に組む(「重ね梁」と設計者は名付けている)ことで構造・意匠に活かしている。手掛けた建築家は、この作品の前から地元徳島県産の杉を「重ね梁」にする設計に取り組んでいる。地域の素材を活かすという建築家としてはごく当たり前の行為ではある。けれども、取り組みにかけている時間と情熱、そして、それが成熟しつつあることに敬意を払いたいと感じた次第である。
 「荒川ビル」は、非常階段を建物の外観に積極的に表しバルコニーと一体化することで、個性を失いがちな小規模な中層オフィスビル(設計者は「ペンシルビル」と呼んでいる)の外観や使い手のアクティビティに変化をもたらそうとした作品である。都市のオフィスビルの外観は、とかく屋外広告物的になったり、無味乾燥な姿になってしまいがちである。そうした都市のオフィスビルに新たな個性を生み出す可能性を感じさせてくれる、今後の展開が期待できる作品として評価した。
 優秀建築賞に選ばれた3作品(新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀、コートハウス、須賀川市民交流センター tette)も、選考過程の投票では支持しなかったが、それぞれに興味深い工夫があり、選ばれることに異存の無い作品であった。
 「新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀」は、ラーメン構造の太い柱をインテリアで上手く使っていた。何より新潟県旧県会議事堂を臨む立地を活かし、快適な住空間をつくっている点が良いと思った。地域の地割やスケールの普遍性を読み解いた作品であるという設計者の説明と、良い意味での矛盾を感じた。
 「コートハウス」は、著名建築家(清家清)が計画した郊外住宅地に、建設時とは異なる新たな解を与える意欲的な作品であった。当初の住宅地では、南側に広い庭が並ぶ形になっていたが、庇状に取り付けられた小部屋によってそれを切り取り、自らの敷地の庭は小さくして、小部屋の室内から隣家から広がる連続する南側の庭を借景して眺められるのは、心地よい演出だと感じた。その一方で、他の家が建て替わる時に、その心地良さがどうなるのかという点も感じた。
 「須賀川市民交流センター tette」は、個性を失いつつある地方都市の再生につなげるべく、市民が集う拠点をつくることに成功していた。駐車場を極力減らし、建物の内部に道をつくるようにした導線によって、周辺の街並みとのつながりに配慮がなされている点も良いと思った。とはいえ、この建物の賑わいや、設計者が提案した道を、今後の周辺区域の活性化につなげられるかどうかは、今後の市の行政手腕や市民の認識に依存するものであり、それについても設計者たちが今後も関与できる仕組みが必要だと感じた。
 日本建築大賞に選ばれた「古澤邸」は、建築家の自邸であり、改めて建築家にとっての作品としての自邸の重要性を感じさせてくれるものであった。現在の形に至るまで、敷地探しからはじまり、エスキースを繰り返すなど、非常に長い時間がかけられており、そのことに敬意を払いたいと感じた。また、それを語る設計者の言葉に、非常に重みがあった。ラーメンとスラブを別につくることによって出来上がった各部は、小規模ながらも多様な空間を生み出しており、その点も興味深く、大賞に選ばれるに足る作品だと思った。
 ところで、著名な建築家の故菊竹清訓氏が設計した自邸、スカイハウスが、経年後に設計時とは大きく姿を変えたことは皆さんご存知だろう。スカイハウスの変容は、菊竹氏の当初の意図とは異なっていただろう。古澤邸も、経年後にどう変わるのか、設計者の思いとは違う形になるのではないか、そんなことを考えながら、プレゼンを聞かせていただいた。
 本年で最後の審査となるので、これまでの3年間を振り返って一言申し上げたい。審査で多数の作品をみせていただいたが、説明を聞くと、建築家の皆さんが並々ならぬ情熱で取り組んでいることが伝わってきた。皆さんの情熱に改めて経緯を表したい。その一方で、なぜ街の風景はよくならないのか、改めて考えてしまう。個々の建物への情熱を、町の風景にどうすればつなげられるのか、これは永遠のテーマだろう。
   
橋本純
 
 投票を経て「古澤邸」が日本建築大賞となったが、公開2次審査に残った6作品はいずれも優れた野心作であったと私は考える。ここに6作品についての私なりの評価を記す。
 「荒川ビル」は、東京都心部に建つ小規模なオフィスビルの意欲的な事例である。角地立地のメリットを生かし避難経路を外部化してファサード2面に展開させ、都市との接点として提案し得たことを高く評価したい。さらに各階の平面形状を変え、それを断面形状の変化する柱や扁平梁を駆使して事務室が整形になるように調整している。さまざまなアイディアが投入された力作だが、実際の外部階段は勾配が急で歩きたくなるような快適さがあるとは言いがたく、階高を抑えてでも勾配を緩やかにするとか、外部空間をより豊かにするアイディアが欲しかった。
 「古澤邸」は、当初、都市に開かれたバルコニーを持つ建物を構想したが、その際に考えた開く閉じるの構成が図式的過ぎると自己批判し、当初案を既存建物に見立て、それを改造するというストーリーに則って語られる。設計者は、明快な図式は想定される結果しか生み出さず、想定外を発生させる操作としてのこの改造の必要性を説くが、プレゼンテーションを聞く限りその説明には無理があった。なぜなら、この建築における想定外とは、想定外というフィクションとして想定の内にあるものだからである。ていねいなディテールと開放的で居心地のよい空間が実現されているのだから、この設計者にはもっと骨太な建築論を構築し建築界の未来を切り開いていってもらいたい。
 「新潟の集合住宅Ⅲ/ザ・パーク一番堀」は、賃貸集合住宅として意欲的な取り組みの事例である。主体構造はRCの純ラーメンで、戸境壁と分離して室内に現しにしている。一見邪魔に見える太い柱が室内各所で生活のよりどころとしてうまく機能し、住み手のリテラシーを引き出している。設計者は、周辺地域のかつての長屋のスケールを単位として積層させ、巨大な建物にも関わらずかつてのヒューマンスケールを継承させたと述べているが、巨大であることは否めず、この説明は説得力に欠けた。
 「木舎」が目を惹いたのは、設計者のここに至るまでの取り組みである。東日本大震災の教訓から、仮設住宅用の木材の備蓄庫(平常時は木材乾燥施設にもなる)の建設、素早く建設可能な相欠き加工技術や重ね梁の技術開発など、さまざまな試みを蓄積としてこの建物に至っている。こうした地域社会に寄り添った継続的な活動はとても意義深いものであり、建築家の仕事として高く評価できる。
 しかしなぜこの建物を流通材だけでつくりきらなかったのか疑問が残る。ここへ至る一連のプロセスは、流通材で構成された建造物そのものが木材の備蓄とさえなり得るということを示唆している。恒久的な存在ではなく、必要に応じて解体され、別の用途に変化できる木造建築の可能性にこそ目が向けられるべきだったのではないだろうか。
 「コート・ハウス」は、郊外住宅地に建つ戸建て住宅の建て替え提案として意欲的な事例である。50年という時間が住宅地にもたらした変容をリサーチし、住宅の構成要素を見直し、手入れが大変になったリアルな庭を内部に「コート」として概念的に置き換えて中央に配し、その周囲に生活に必要な要素を挿し込むように住宅をつくっている。近代住宅および郊外住宅地は核家族の加齢によって変容を余儀なくされている。この住宅にはその問題に正面から取り組もうとする姿勢があり評価できる。しかし一方で、加齢により庭仕事が困難になったからそれをインナーコートに置き換えるという解答は、やや単純すぎるように感じた。高齢化という現実は認めつつも、現状のリサーチからだけでは導き切れない、建築家としてもう一歩踏み込んだビジョンを見たかった。
 「須賀川市民交流センター tette」では、まず図書館機能が館内全体に分散配置されている点が注目される。内部には敷地の高低差を生かしつつ東西に大きな「通り」を設けていて、その「通り」沿いにさまざまな人の営みが現れている。図書館機能の分散はその道のような空間と相まって、公共施設の今日的な姿を見せており、魅力的な空間となっている。
 設計は、アトリエ事務所と組織設計事務所の協働で、その座組みの設定や、行政側もこの建物の運営のための人員配置を行うなど、実現に至るまでの関係者らの努力も見逃せない。総合力で編み出された力作として評価したい。